三重県多気郡多気町ヴィソン 672番1 旨味14

日本の食と慣習

Water Wall Gallery Vol.1

食・風土・伝統・工芸など、多彩なトピックを切り口に「水」を通して日本の文化や歴史を探求。“水のシナリオ”と題したシリーズ展示をケーススタディに、水と人との営みを再考しながら、水の叡智を発見していく「Water Wall Gallery」。

記念すべき一回目は、「日本の食と慣習」をテーマに、私たち日本人と水との深い関わりについて考えていきたいと思います。日本には、地域ごとの固有の伝統文化や長い歴史によって磨き上げられてきた世界に誇る食文化があり、古来より大切に受け継がれてきた伝統的な慣習が数多く存在します。

本展では、「包む」「炊く」といった所作から生まれ、庶民の暮らしを支えてきた無銘の民具や雑器、「出汁」や「酒」といった文化を体現する道具に着目。また、紀伊山地の豊富な伏流水の恩恵を授かり、日本有数の軟水が湧き出る場所として知られる三重県の食文化にも焦点を当て、いにしえより「祈り」の場所であり、自然崇拝の聖地でもある「伊勢の習慣」についても紹介いたします。

水の恵みが育んできた豊かな自然。そして、自然に畏敬の念を抱きながら、共生してきた先人たちが現代へと繋いできた「日本の食と慣習」。本展があらためて、「水」について考えるきっかけとなり、その叡智に触れる機会になったら幸いです。

桶/奈良/昭和

汲む

「汲む」「はこぶ」「溜める」といった日常の振る舞いを支えてきた水の容れもの。それらは、日本のさまざまな慣習や習慣とも深いつながりがあります。例えば、茶の湯の礼儀作法である打ち水。私たち日本人は、茶道の世界に限らず、玄関先や道に水を撒くことで夏の暑さを和らげ、道を清めて客人をもてなすことを、先人の知恵から学んできました。長い年月を経て、時代とともに姿を変えながら、現代に受け継がれてきた道具には、こうした日本独自の文化や知恵が息づいています。また、今回展示した桶のように、木で作られた古い水の器には、繊細な装飾が数多く見受けられます。こうしたディテールからも、日本人の美意識や日用品に注いだ愛情を伺い知ることができると思います。

しめ縄飾り(蘇民将来)/三重/現代

伊勢の習慣

注連縄(しめなわ)というと、松の内の終わる頃に、正月飾りとともに外すのが一般的ですが、伊勢では一年中玄関に注連縄を飾る風習があります。伊勢の家々の軒先でよく見られるのが、「蘇民将来子孫家門」(そみんしょうらいしそんかもん)の護り札がついた注連縄です。蘇民将来とは、伊勢の地で宿泊に困っていた須佐之男命(スサノオノミコト)を助けた貧しい男のこと。この人物の伝説にあやかり、無病息災を願う慣習として、伊勢の注連縄は現代に受け継がれています。また、稲を育てるところから始まるという伊勢の注連縄づくり。邪気を払う柊の葉、子孫繁栄の象徴である𣜿葉、代々栄えるという意味を持つ橙など、それぞれの部位には意味があり、太陽と水の恵みによって育まれた自然素材によって作られています。

酒甕(西新焼)/福岡/昭和

紀伊山麓からの伏流水に恵まれ、県内随一の米どころとして知られる伊賀地方をはじめ、豊かな自然の恩恵によって育まれてきた三重県の酒造り。宮川の源流水に代表される清冽な軟水によって、地域の風土を活かした魅力ある名酒が個性豊かな酒蔵によって生み出されています。また、伊勢神宮では年に3回、神前に捧げる酒の醸造の成功と日本の酒造業の繁栄を祈念し、御酒殿に糀を奉納する「御酒殿祭」(みさかどのさい)と呼ばれる神事が執り行われるなど、三重県と酒はとても深い関係にあります。本展では、量り売り用の甕や伝統的な各地の酒器を展示。道具を通して、あらためて日本人にとっての酒という存在が見えてくると思います。

漉し器/東京/現代

出汁

日本が世界に誇る「出汁」という食文化。今や国際的な言葉となった「UMAMI」(旨味)という味覚のルーツも、日本の食文化の基礎を成す昆布やかつお節による、日本固有の出汁文化に行き着きます。ちなみに、昆布やかつおといった言葉が歴史上の資料に登場したのは、奈良時代のこと。以来、地域ごとに異なる気候や食材、水の硬度などによって、その土地ならではの出汁の取り方が発展し、多様な食文化が日本に花開いていきました。展示した外棒式 の出汁漉し器は、現在、東京で作られているもの。素材が変わろうとも、伝統的な道具と変わらないシンプルな構造に、先人の叡智が脈々と現代に受け継がれている証を見ることができます。

釜蓋/不明/昭和

炊く

紀元後3世紀には卑弥呼を女王とする邪馬台国が誕生。この頃には、すでに稲作栽培による農業社会もほぼ完成されていたと考えられています。それぐらい、日本人とは切り離すことのできない米にまつわる道具と文化。昔ながらの羽釜に乗せられる木葢には、興味深い形状のものが多々あり、例えば蕪の形状を模したものには邪気を払う願いが込められているといいます。また、粥や重湯を作るのに適した行平鍋は、塩を焼く器がルーツと言われ、その名前は平安時代初期から前期にかけての公卿・ 歌人として知られる在原行平が須磨で塩焼の海女と親しんだ故事にちなむといわれています。ちなみに三重県の伊賀市の丸柱は、この鍋の大きな産地でもありました。

吊るし海老/熊本/現代

包む

日本人の心や美意識が造形となって表現された伝統的なパッケージには、美しいだけでなく先人の知恵と機能が内包されています。これらを代表する「卵の苞」と呼ばれる藁で作られた卵の入れ物は、物資のない時代に貴重な卵を運ぶ緩衝材として東北地方で生まれた道具。この「卵の苞」をはじめ、日本のアートディレクターの草分け的存在であった岡秀行(1905‒1995)があらためて見出した「包む」という日本の伝統文化に焦点を当てた展覧会(1970年代)は、アメリカをはじめ世界28カ国を巡回し、世界的な評価を受けました。日本人の生活の美意識を宿した「包む」というカルチャー。日本の伝統を継承する「包む」ための道具は、現代を生きる私たちに真の豊かさとは何か、自然と共生することの大切さを今もなお訴えかけているように思います。

鬼瓦(水)/不明/昭和初期

祈る

古来より日本人は神に祈りを捧げ、自然に畏敬の念を持ちながら生活を営んできました。中でも伊勢神宮が鎮座する三重県では、今もさまざまな神具が大切に受け継がれています。また、今回展示した「水」の文字が刻まれた鬼瓦のように、信仰だけでなく、護符や魔除けとしての役割を持つ祈りの道具が日本各地に存在しています。現代の日本において、残念ながら都市部ほど薄れつつある「祈る」という風習。しかしながら、私たち日本人にとっては忘れてはならない習わしであり、これからも大切に受け継いでいくべき文化であると私たちは考えています。

土瓶(伊賀焼)/三重/昭和

静岡県、鹿児島県に次いで、全国第三位のお茶の生産量を誇る三重県。三重県は土地の起伏や天候が茶の栽培に適していることもあり、その豊かな自然の恩恵とともに茶にまつわる文化が育まれてきました。例えば、伊賀市の北西部に位置し、四季折々の豊かな自然環境に包まれた丸柱の土瓶や隣県の滋賀県甲賀市信楽町で作られる信楽焼の壺など、緑釉を使った道具が多く見られるのが、この地域の特徴です。また、三重県周辺だけなく、日本各地のお茶の道具には、それぞれの地域性と庶民の暮らしが反映されています。いにしえより連綿と受け継がれてきた日本の茶の文化。本展では、その歴史の足跡を辿る道具を展示しています。

通い瓶(信楽焼)/滋賀/昭和

醤油

アジアには、さまざまな発酵食品があり、その代表ともいえるのが、日本人の食生活に欠かせない醤油です。南北に長い三重県は、伊勢平野、伊賀盆地、紀州に大別され、ひとくちに醤油といってもそれぞれの地域によって「たまり」「淡口」「濃口」といったバリエーションが存在します。その中で「たまり」と呼ばれる醤油を使った「伊勢うどん」は、ご当地を代表する料理として今も多くの人たちに愛され続けています。そんな食文化が息づく三重県の醤油蔵や酒蔵では、古くから自社製品や家紋を入れたグラフィカルな法被を着て、仕込みの作業を行ってきたといいます。また、江戸時代から酒屋の貸し出し容器として普及した通い徳利と呼ばれる容器は、隣県である滋賀県甲賀市信楽町が大きな産地であったといわれています。

左:花見酒器/不明/昭和初期 右:水筒/大阪/昭和

ハレとケ

「日本民俗学」の創始者であり、近代の日本を代表する思想家でもあった柳田國男によって見出された日本人の伝統的な世界観である「ハレとケ」。ハレは儀礼や祭、年中行事などの「非日常」を指し、ケは「日常」を指し示す言葉として、現代の日本人の生活や感覚の中に今もなお息づいています。本展では、花見用の酒器に対し、農家の人たちが愛用してきた水筒といった道具を、「ハレとケ」という概念に基づき対照的に展示。その道具たちをあらためて俯瞰していくと、日本人の繊細な美意識と感性、そしてハレの日に対する祈りにも似た先人たちの願いの深さを感じることができると思います。

企画:スイムスーツデパートメント